1982年(昭和57年)夏の比叡山人工スキー場(京都市)の写真です。約30年前に、人工芝ゲレンデの第一号が京都に誕生しました。当時はメーカー名の「アストロ」が、そのままゲレンデ名に用いられ、「アストロスキー場」と言われておりました。

 プラスノーは、この頃「六甲山人工スキー場」に導入済みだったと記憶します。

 現在の人工芝同様に密集したプラスチック毛のマットに、直径2ミリ程度の樹脂製のビーズを敷き詰めてさらに散水で滑走抵抗を低減してました。今思えば高性能なゲレンデでしたが、やっかいな事に大雨が降るたびにビーズの流出・・・・・

時間をかけて比叡山麓まで流れ着き、鴨川にまで流れ込むと言った公害問題発生で、わずか数年でビーズは撤去、人工芝本体の設計変更を余儀なくされました。(写真をクリックすると拡大写真が見れます。)

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ポールを滑っているのは管理人@高校時代です。^^; 30年以上人工芝を滑ってるわけですね(~_~;)

 

徳山人工スキー場の写真を探しています。 1985年ボルミオの世界選手権で後にリメハンメルオリンピックGSで優勝するドイツのバスマイアーがGSで初めてアンダーゲート(スルーゲート)を採用したレースをツルブリッケン・ジラルデリを抑え、鮮烈なデビューをしました。

そのころ、私は山口県の徳山人工スキー場(ゴルフ場)でプラスノーと出会いました。

この年の国体でもアンダーゲートは採用されました。片品国体だったはずです。歴史に残る茶色のアイスバーンと1700メートルを超えるコース全長、ラップが1分40秒を超える壮絶なレースでした。

そういえば、距離のスキーが短くなってスケーティング走法が全国制覇したのもこのときの国体だったはずです。

近日SMコンペ公開? オフトレに夏場は徳山人工スキー場に・・・・陽射しがきつきなるにつれ、水の渇きが早くなり滑走性が著しく低下し、ストレスを感じ出しました。

それどころか、10日も滑ってないのに私の大切なロシニョールSMコンペ200cmの滑走面の一部が溶けてなくなってるでは無いですか。おとうちゃんに怒られる・・・なんてドキドキしてたのですが、エンジニアだった親父は一言。「ステンレスでも貼れば?」

そうです、最初は滑走面なんて剥がせるなんて思いもしなかったので、「そんな無茶な」って感じでした。ま、雪の上はSM−VASと4Sがあるのでばらしてみる事に。文字の入った滑走面は実は透明で、接着シートに印刷されている事に感動しました。

近日ステンレス仕様0号機SMコンペ公開? 滑走面は剥がせたものの、ステンレスの板をカットするのに上手くいきませんでした。やっとカットできても上手く接着できません。接着力があるものはスキーが単版のように硬くなてしまうし、ゴムボンドのような弾力性のあるものではすぐに剥がれてしまうなど、全く上手くいきませんでした。

時間は流れて小雪ちらつく中、ゼッケン1番のペーターミュラーがラップをたたき出し、ゴールエリアで顔を真っ赤にしながらレースの流れを・・・・第1シード終盤14番ゼッケンだったかな?同僚のツルブリッケンがラップを塗り替える、あの無常なオリンピック、カルガリーがあった年、1988年の春にやっと滑れるステンレススキーを作り上げた。世間は爆弾男、トンバの4Sだらけなのに、SMコンペで0号機はスタートしました。

長い年月がたっているので、トップ部は剥離しちゃってます。フレックスをできるだけ損なわない接着剤を調合してもらって誕生しました。

数種類のお上提出写真を掲載予定 ステンレスは重い!なんて考えていろんな材料にチャレンジ。その年は確か・・・・・

憧れのインゲマルは久々にW−CUPのGSで優勝。そのジーズン志賀高原を現役最後の地と選びました。

GS1本目、期待とは裏腹に非凡なタイム。王者逆転マルクの勝利にはあまりにも大きいタイム差、1980年レイクプラシッドで転倒してゴールした時よりも大きいタイム差。連勝中の彼であっても不可能だと感じた。

テレビ画面の前で寂しさと、数々の感動に感謝の気持ちでいっぱいだった2本目スタート。スタート後数旗門で、再び王者逆転マルクの存在を見た。間違えなく逆転マルク。西館山に神は降り立った。Xeは誰よりもステンマルクを愛し、そしてステンマルクはXeを誰よりも正確にコントロールした。深い左ターンを難なくすり抜けた後は、涙で何も見えませんでした。アナウンサーが2本目ラップタイムだと叫んでいたのが記憶にあるだけで、興奮した為、はっきりと何も覚えていません。ステンマルクによって、そのシーズンのGSチャンピオンが入れ代わったことだけ記憶しています。

  資金不足で販売リクエストの多かったステンレススキーを販売開始!

あわせて、コーティング滑走面の専用スキーも販売。

特許庁にも出願登録。人工芝専用スキー(板)・プラスチック製ゲレンデ専用スキー(板)などでステンレスや金属、コーティングやメッキを含む表面処理をした金属を滑走面に用いる事を全般的に登録しました。

雪用では、すでに(株)小賀坂スキー製作所から何種類も特許登録されてました。

ヤマハや美津濃もこのころ非売品レベルの小ロットで人工芝専用スキーを試作を繰り返していたようです。美津濃は生産に成功し、一部の選手の練習マシンとして配布したようです。

我々は、数々の金属素材を試しました。人工芝ゲレンデやプラスノーゲレンデにも通いました。国産で1mm程度以下の厚みの金属のいったい何割の素材を試した事か?純チタンなんて軽くてって喜んだら高価だし、アルミは種類が多すぎて訳わからないし、アルミもステンレスも錆びるってことも知りました。試すスキー板は三井物産スポーツ蒲lの協力で非常に研究しやすい環境を提供いただけました。

京都府と国の協力も得られ、多額の資金援助をいただき・・・・・が、命取り?多大な資料の提出で大きく時間を使ってしまいました。おかげさまで、何をやってきたかは貴重な資料を確実に保存できたのはメリットでした。

資金はコーティング費用や、切断治具、圧着装置の製作費に利用しました。

  ある日、小さなスキーショップオーナー様から電話で「ステンレススキーを真似させてください」って・・・・

今まで、スキーショップ様には何店舗かに卸させていただいた事はあるが、真似させてとは初めてで驚きました。もちろん国の資金も活用させていただいて開発してきた以上お断りしました。

それよりその頃から、ステンレススキーに疑問を抱き始めました。

せっかくのローコストでなんとか★滑走性能が上がる。★滑走性が上がるとグリップ力が上がる。体感できる滑走性で大きなメリットに感じる。

だけど、滑走面にステンレスを貼り替えるとバランスが崩れるのは何とかごまかせても、フレックスが硬くなり、ベンドが死に、しなやかさが消え、返ってこない。

そーです。このころ「カービング・スキー板」の登場で、よりしなやかに、そして返りを上手く利用して滑る技術が初級者たちにも一般的になってきました。

当時中学生のジュニアがカービングのステンレススキーを履いて滑ってる姿を見て、ステンレススキーの改造をやめる決意をしました。ターンのつなぎで通称「よっこいしょ滑り」・・・・たわんだスキーが返ってこないので、無意識に自力で持ち運んでスキー切り替え操作をしてしまい、本来のスキー操作からは離れていくことを理解しながら滑ることはエキスパート以外には難しいことだと思い諦めました。ただ、人工芝ゲレンデやプラスノーゲレンデで楽しみたいって方にはとても良いと思います。

「よっこいしょ」滑り・・・そういえば北の国のレーサーは「わっしょい」滑りが多いですね。信州の選手ではあまり見かけません。

 

  つづく